続☆メンデルスゾーンのはなうた

アマチュアvn弾きの雑記。ピアノと水泳も。

葬儀の翌日から怒涛の手続き三昧。

父の葬儀を終えた翌日から、やらねばならない事々がびっちりと詰まって、ぶっちぎり状態で動いている。他に兄弟姉妹いないから必然と。

 

それにしても、「悲しい」という感情が湧きあがってこれない程に、やること山積^^;

泣けたのは通夜の夜が今のところ最後。葬儀までは、父が病院でリハビリしたり話しする姿が浮かんでは消え、悲しい気持ちになっていたが、よくも悪くも、今は「実務」に忙殺されている。まぁ、母が亡くなった時は、父が手続きしていたからね。

 

役所、銀行、保険(生保、損保)、年金センター、税理士、公共料金やクレジットカードの関係、相続関連等々。それに加え、父は私に「宿題」を残して逝った。自宅屋根の修理とトイレ改修工事だ。工務店との打ち合わせもやった。

 

それらと並行して遺品整理。今日は父のベッドと母のベッドを業者さんに持っていってもらったら、部屋が急に「がらぁん」とした。

 

母の遺品整理の時は、ひたすらに「物」が、とりわけ、衣類が多かったが、父の場合がは、「金融」にまつわる手続きがやたらと多い。慎重にならざるをえないし、不安も感じる。名義変更手続きも結構あるが、自分の心を「無」にして、粛々とやるしかない。

 

カード類解約が、予想以上にチマチマと面倒。私はカードモタナイ派だけど、こういう処理をする立場になってみると、ほんと、カードなんて、気軽に作るもんじゃないよね、と思う。イ○ンだ、生☆だ、ファ○マカードetcだ、何でもかんでも引き落としにしちゃってて、解約のための電話が、まぁ、面倒。

 

男親が亡くなった後のほうが、各種手続き関係が、大変な気ぃする・・・。

「ああ、早く解放されたい。この手続き達が完了したら、もう私は残りの自分の人生、自由にやるよ。絶対にそうするよ!」ってくらい、今、粛々と忙殺されてる^^;

 

今月いっぱいは、おそらくこんな状態で日々が過ぎ去っていくだろう。体力的に回復してきたので、昨日から、スイミングに復活した。泳ぐと、気分すっきり。

 

昨日はクロール中心に、メニューをこなし、約1100m泳いだ。二週間ぶりに泳いだので、血流が良くなり過ぎたのか、身体が興奮状態に陥ったのか知らないが、深夜二時半まで眠れず。今日も、役所や電話手続きの合間を縫って、泳ぎに行った。平泳ぎ50m×3の後に25mタイムは27秒2。

 

ピアノとバイオリンに触れる時間と気力がまだ出てこない。どちらも、10月からレッスン再スタートする予定。それまでに、少し父関連の事々に、目途がついているといいなぁ・・・。

 

 

初七日。

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初七日。

虚弱体質であった父は、幼いころから、幾つもの大病や大怪我を、その都度乗り越えてきた。

そういう父であったから、世間一般的な父親が、所謂「家族を守る」やりかたとは、だいぶ異なる、父独特の方法で、自分自身の人生(健康)と家族を守ってきたと思う。

でなければ、50代半ばで余命すらわからないと、医師から宣告された「悪性リンパ」を患った時に、死んでいてもおかしくはなかった。(もちろん、結婚後の父の人生には、母の献身的な支えがあった。)

 

父が亡くなり、初七日である今日、今度は娘である私が、父がやってきたやり方を踏襲して、自分と家族、家を守っていく決心をした。

 

今日は、そのための第一歩として、ある場所に出かけ、ある人物に会い、二時間ほど話をしてきた。初めてお会いする方だったが、驚いたことに、この方のお住まいは、私の小学校時代の「恩師」の家の「お隣りさん」だったのだ!そして、更に衝撃的なことに、98才になるその「恩師」は、一週間ほど前に亡くなったとのこと!父と同じころではないか

 

この事実をどう受け止めたらよいのだろう!昨日の市役所高齢福祉課で営業の方とばったり出くわしたことといい、、、なんだか、まるで、父の遺志が働いているかのよう。どちらも、絶対にただの偶然ではないな。そんな気がして、しかたがない。

 

その方と別れた後、本屋で、久しぶりに、学生時代に好きだった、↑この作家の著作を手にとった。この作家は、当時の私が、同じようにのめり込んでその作品を読みまくった中上 健次とも、親交が深かった。

 

 数年前、ショスタコの四重奏を聴きに行ったとき、会場に、美しい奥様と連れだって、私の座席の左二つ横に座っていらっしゃった。理知的で「気の利いた」その横顔といかした黒のスニーカー姿を、今でも、私は、鮮明に思い出すことができる。

葬儀を終えて役所へ

喪主は初めての体験でしたが、葬儀社の方々の細やかな心遣いや、家族の協力を得て、なんとか父の葬儀を滞りなく済ませました。4年前に母の葬儀を行ったのと同じ斎場です。

9月9日(月)

父の中学以来の大親友がきてくれて感謝と感激。色々と話し込みました。

お通夜 この夜、私一人で、斎場に泊まったのですが、皆様が帰った後、「思い出の写真」コーナーで、若き父と母が出会ったころの初々しい白黒写真を眺めていたら、まぁ、泣けて泣けて・・・。誰もいなかったせいもあり「嗚咽」。もう、この二人はこの世にはいないんだなぁ・・・・と、しみじみ。

10日(火) 

昼に自宅で湯灌、告別式 火葬。

棺の中には、家族と親戚からの手紙、ハワイアン・クラブでウクレレを弾いていた父のウクレレと、いつも使用していた財布に三千円、(入院中、TVカードや雑誌を買うためにこの金額を入れていた)商店街の夏祭りで着ていた町会の浴衣二枚と帯、雪駄、MEIJIの板チョコと塩せんべい(大好物にもかかわらず、嚥下リハビリで入院中食べられなかった)、ハット等々を入れました。

 

火葬の後は、某ホテルに移動して、親戚中心で精進落とし。父方も母方も、父母と同じような年齢の親戚は、もうほとんどいなくなってしまったね、という話をして、これまたしみじみ。

 

11日(水)

午後から市役所に出向き、後期高齢者の保険証と介護保険証の返却手続き。

高齢福祉課に行くと、なんと!父が入院前、介護福祉用具レンタル(車いす他)や改修工事の件でお世話になっていた、担当営業の方にばったり会って、お互いにびっくり!この度の事情は、地域包括センター担当の女性から伝わっていたそうです。

私も用具返却の件で、

「○○さんに、近々、連絡しないとなぁ・・・。」

とまさに思っていたところでした。どちらかが、わずか数分でも福祉課に向かうのがズレていたら、ばったり会うことなんてありません。営業の方も、

「こういう不思議な巡り合わせって、あるんですねぇ。」

まさに、父が用意したような「ばったり引き合わせ」。常に、先々のことを考え、用意周到だった父らしい、と思いました。色々、今後のことを話せました。

 

今後の手続き関連は、年金事務所、税理士、信託銀行(相続)となっていきます。

その合間に、父の部屋の遺品整理など。

 

 

父の帰宅。

令和元年 9月5日 23時37分。

父が永眠致しました。

7月25日から、転院も経て、ずっと入院生活が続いていましたが、父は今、三十代半ばに、自分が建てたこの家に戻り、母が眠っていたのと同じ応接間に、同じように眠っています。家族六人が暮らした家。

 

おかえりなさい。私のお父さん。

 葬儀社の方が帰られて、家の中は今とても静かです。

 

9月18日は、母の4回目の命日。

お母さん、何度もお願いしたのに、お父さんを連れて行っちゃったね。

もう、あちらの世界で、一人でいるのに飽きちゃったんだね。きっと。

 

母が逝き、父が逝き、

不思議なもので、私には、結婚して夫と子供ふたりがいるというのに、

今、猛烈に「たった一人になってしまった」ような感覚に包まれている。

私をこの世に送り出してくれた「あの二人」は、もういない。

父がいなくなることが、こんなに悲しいとは。

泣けてしかたがない。

泣けてしかたがないけれど、私は「喪主」ゆえ、今は「浸って」はいられない。

「凍結」されるまえに、下せるものは下し、午後再びやってくる葬儀屋との打ち合わせに備え、あれやらこれやら用意せねば。

当分は、父関連の事々で忙しく日々が過ぎていくのだろう。

 

2019年9月6日 朝5時

 

 

 

 

二日ぶりに帰宅

8月末に、小学校の(基盤は小学校と言ってもよいだろう)小さな集まりに参加しておいて、正解だった。

 

9月3日、午後、父が(誤嚥性)肺炎をぶり返した。最初の肺炎が、ほぼ、治ったので、先月23日に、地元病院から転院して、順調に、リハビリ(歩行、嚥下、発声)を進めていた矢先のことだ。

 

「嚥下食」の段階が、3から4(刻み食あり)へと切り替わり、初回の昼食を食べ終わり、担当の先生と、話をしていた最中、父は、突然、嘔吐したそうだ。その際、嘔吐物が、気管支に入り込んだらしい。

 

すぐに病院に駆けつけてみると、父は、すでに個室へ移動。人工呼吸器をつけているその表情は、とても苦し気で、肩で大きく、速い呼吸をしているのが目に入った。

熱は39・7℃。点滴投与。(誤嚥性)肺炎、嚥下障害で一番恐れていたこと、つまり「振り出し」に戻ったのだった。

 

その日の夜、父の血圧が一時、上54下30くらいまで下がり、いわゆる「危篤状態」に陥った。看護師さんから、

「誰か、家族以外に呼んでおきたい人は、いませんか。」

と言われ、さすがに動揺したが、翌明け方、高熱が下がってからは徐々に血圧が戻り、今朝から上90(父は低血圧なので、これが通常)になった。

意識も表情もはっきりしているが、まだ人工呼吸器を外すと、酸素飽和度が安定しない(90を↓切る)ので、装着している。人工呼吸器が外せるようになることを願うばかり。

 

昨晩から明け方にかけては、「痰の絡み」が頻繁で、細いチューブを、口や鼻から手動で入れて、繰り返し吸引してもらっていたが、これは、患者本人はもちろん、傍らで見ている者にとっても、相当にシンドイ光景。

 

この「痰の吸引」、4年前、自宅で母を看取る二週間ほど前から、看護師さんから教えてもらい、実際、母に吸引をしたことがあるが・・・。まぁ、「吸引する」ほうも、「される」ほうも、文字通り「ガシガシガシガシ」痛くてシンドイ。

看護師ではない素人の自分にとっては、二度と行いたくない「トラウマ級」の医療行為だ。「痰の吸引」に比べたら、「排泄ケア」のほうが慣れるし、腹も括れるから、まだ「まし」と(私の場合)思っている。

 

あの時、父は、痰の吸引を自分の手で、母に行うことを怖がり、

「俺にはとてもできない。」

と言い、やむを得ず、私が母の痰の吸引をすることになったが。

場合によっては、今度は父に対して、私がまた「痰の吸引」を行うことになるかもしれない・・・。(うううっ・・)

 

そんなわけだったので、私は、着たきりのまま病院に駆けつけ、(夜間付き添い可の病院)そのまま、風呂にも入ることなく、同じ服で二日間泊まり込んだ。さきほど、気分を切り替え、身体コンディションを整えるために、いったん、自宅に戻ってきたところ。

 

まずは、風呂を沸かし、帰宅途中、コンビニで買ったカフェインレス・ドリップに豆乳を入れて飲む。入浴したら、一眠りして、身体と神経を休めよう。

 

事情を連絡し、今日はvnのピアノ合わせをキャンセル。来週に延期していただけたが、「合わせ」ができるかどうかは、父の容体次第。まぁ、vn発表会は、「なるようになる」だろう、きっとね。

ご、五時間!

昨夜は渋谷井の頭線西口付近の店で、小、中、高校の同級生たち7名(♂5♀2)という、こじんまりとした集まりに参加してきた。

 

小学校1,2年でまず同じクラスになり、3~6年までクラス替えなし。(ある意味地獄)その後、中学や高校、クラスや部活のどこかで同じだった面々。

 

当時、なかなか話せなかった胸の内やら、軍隊仕込みの厳しすぎた大正生まれの担任の話、今現在のことなど、まぁ、話すわ話すわ、なんと5時間も!

 

夕方6時に集合して、お酒を飲んでは、ぶちまけ話にゲラゲラ大笑いして、気がつけばあっと言う間に11時15分になっていてビックリ^^;

 

井の頭線西口前で解散する時に、みんなとハイタッチして別れた。また、こうして元気に、「欠けることなく」会えるといいね、と思いながら。

 

中学や高校から新たに入学してきた人たちもたくさんいるけれど、やはり、小学校生活を共に過ごしたこの面々が、一番、気兼ねなく話せる。勉強や部活以外に、遠泳や高原登山、スキー、海浜学習、マラソン大会、小学生なりに苦楽を共にした体験が、思い出の基盤にあるためだろう。

 

(偶然にも、今日集まった7名は、各々の事情と理由で、付属の大学に内部進学せず、外部大受験している共通点がある。)

 

普段、私は自宅でも外でも、ほとんどお酒を飲まないが、昨晩は生ビール大ジョッキ1、黒ビール2を、次々飲んだ。たまに会って、こうして当時は話せなかったようなことをふり返って話してゲラゲラ笑って。こういうの、一番いい。

 

一晩明けた今日は、二週間後に迫ったvn発表会のために、楽器を調整に出した。

ガット弦からスチール弦に張り替え、弓毛も張り替え。その後、スタジオで1時間練習して帰宅。

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私レベルのピアノでも、弾けそうと判断した曲から手をつけていくChopin


ショパン ノクターン遺作20番 嬰ハ短調 Chopin Nocturne cis-moll


F. Chopin : Nocturne op. 9 no. 1 in B flat minor (Rubinstein)

 

 

次回レッスンまでに、これ↑弾いておこう。大昔観た映画《戦場のピアノニスト》以来、いつか自分で弾ければいいな-と。そろそろ弾けそうと自己判断。

Chopinにも、私レベルのピアノでも弾けそうな曲と、こりゃ、一生無理無理無理っ!な曲がたくさん。

私は特にChopinが「大好き」ってわけではないが、「いけそうだ」と判断した曲は、弾いてみることにした。