《2019年を振り返る》
ところで、今日は、9月5日に亡くなった父の誕生日だった。生きていれば、83才になるはずだった。午前中、誕生日だった父を祝うつもりで、お墓参りに出かけた。
1月1日元旦
(今思えば、今年は元旦から父のことで病院に行ったのだった。)
朝。雑煮の餅を焼こうとするも、いきなりオーブン・トースタから黒い煙がぶすぶすと上がり、トースタが壊れる。たまたま元旦営業していた近所の大型電気店に駆け込む。
夜。父が「両足が凄くむくんでいる!」と真っ青な顔で、泣きそうになって、私たちにうったえたので、急きょ、地元救急病院に車で運んだ。検査などで帰宅は深夜1時ごろとなる。このことがあってから、父の病院に一緒に付き添うようになる。介護認定をとる。
1月下旬
スイミングコーチから、(私)インフルA型感染^^;
2月下旬
オーストラリア ケアンズに家族旅行。初日夜、ホテル・ベッドより落下して左肩と頭部打撲。翌日、キュランダ高原鉄道内で、熱中症と血管迷走神経反射(←年1位でなる)になり、終点駅からそのまま、ケアンズ病院に救急搬送される。
3月
息子大学卒業。父が息子と「佐渡」に行きたいと言い出したため、付き添いで、急きょ、私も佐渡へ。行きのカーフェリー内で、酷い船酔いに襲われる。
5月
母が夢の中に出てくるが、酷い「悪夢」で、夜中に絶叫し、家族を巻き込む。
17日 スイミング練習後、クラクラする。
24日 眩暈に襲われ、耳鼻科と脳神経外科でMRI。(内耳の耳石剥がれ落ちと思われ。)
28日 父外出先(私は付き添っていた。)で意識消失。元旦に運んだ救急病院に救急搬送されるが、入院はなし。この時、私の眩暈はまだ治まっておらず。
父のあらゆる病院への付き添いや介護関連の方々との打ち合わせ、車免許と運転を諦めさせた。
7月
中旬 夫が日帰り手術を受ける。
23日 (私)御茶ノ水の東京医科歯科で、左下親知らずの水平抜歯手術。以後、2週間近く、マスクなしで過ごせないくらい顔が腫れた。
24日 深夜から明け方。父の咳込が酷くなり、元旦運んだ救急病院に車で運ぶ。検査の結果、嚥下障害からくる「誤嚥性肺炎」。そのまま、約一か月間の入院となる。肺炎は10日ほどで回復。
5月の眩暈の時も7月の親知らず抜歯の時も、私自身の体調が悪くなった直後に、必ず、追いかけるように、父に何か起こった。
8月23日
地元の救急病院から、嚥下障害の食事と運動、発声のリハビリのため、隣町の病院へ転院。
9月3日
父、嚥下リハビリ食の段階切り替え。食後1時間、医師と話中に、突然、嘔吐。嘔吐物が気管支に入り、誤嚥性肺炎の再発。
9月5日
父、永眠。 10日通夜 11日葬儀
各種名義変更、手続き(銀行や保険他)が始まる。24日から、生前、父が契約していた工事(屋根と外壁)、トイレ、洗面台取り換え工事がスタート。(約2週間)
同時に遺品整理や部屋の片づけも始める。一気に同時進行していたためか、神経が高ぶり、寝てもすぐに目が覚めてしまい、疲れが全くとれない状態が続いた。
10月
税理士事務所へいく。父がやってきたことを引き継ぎ。
19日 四十九日法要。
11月
気学の勉強スタート(月1)
二階のガスレンジ総取り換え。
12月
4日 U2来日公演@saitama super arena
13日 二階レンジフードと換気扇掃除 エアコン掃除をプロに頼む。
《5月にみた、母の悪夢のこと》
5月は、24日に私が眩暈に襲われ、28日には父が意識消失で救急搬送された。
私が眩暈に襲われた2週間位前に、4年前に亡くなった母が夢に出てきた。
夢の中で、母の気配を遠くに感じた私は、喜び近くまで駆け寄っていった。
私のことをジッと見つめる母の姿は、なんと、その四肢が切断された状態で横たわっており、切り取られた四肢と開いた口からは、真っ赤な血が流れていたのだった。母は、何も喋らずに、ただただ、私のことを、ジッと、ドロン・・・としたような目つきで見つめていた。
深夜三時頃だったろうか。私は、家中に、いや、おそらく隣家の住人にもきこえるような響き渡る声で、絶叫して目が覚めた。あんなふうに大きな絶叫をしたことは、過去にない。ひどく寝汗もかいていた。家族が、一体何ごとかと、寝室に集まってきた。
私は、悪夢の内容を、この時、家族には話さなかった。あまりにも、酷い夢で、こんな夢は、絶対に口に出して話してはいけない、と強く思った。自分の胸の深い場所に、この悪夢のことを、押しこめた。
この日の悪夢から、二週間後に、父が外出先で、意識を失って搬送された。そして、7月には、父は、誤嚥性肺炎で入院し、9月には、亡くなってしまった。
父の件が続いていくこの間にも、私は、母の悪夢の件を、誰にも言わずに黙っていたが、忘れることができず、ずっと、ずっと、ひとり不吉に感じていた。
「母は、父を連れて行ったのだと思う。」
四年前、母が亡くなったのと、同じ9月に、二週間違いで、父が亡くなった時、私は、自分がずっと、「そのように」感じていたことは、間違っていなかったと、確信したし、納得したのだった。
葬儀が終えてから、私は、家族にこの悪夢のことを話した。
母は、私に、夢を使って、この先、「父と私に起こる出来事」を、知らせにきたのだと思う。夢の中の自分(母)の姿が、悲劇的状態であることで、起こる出来事の内容も、「良いことではない」ということを、伝えにきたのだ。